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飛騨の里-1 バッタリ小屋、水車小屋
水を利用し、天秤のように動く唐臼を、飛騨地方では「ばったり」という。杵が上げ下がりするときに出る「バッタバッタ」という音から名づけられたという。
米や稗をゆっくりと精白する臼で、少しの水でも動く。このバッタリは高山市荘川町三尾河(みおご)にあったもので、臼を二つ使って能率を上げるようにしている。ゆっくりと米や稗をつくバッタリの音は、山間ののどかな風情を感じさせてくれる。

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③飛騨の里-1 バッタリ小屋、水車小屋
天領時代-5 江名子川に架かる橋・下流からその2
金森氏は高山城下町をつくる際、東側の防御として自然の河川の江名子川を掘とした。空町と呼称される武家屋敷の場所東側を流れていて、北流する。
江名子川は、神通川水系の 1級河川で、豪雨時の水量が近年多くなり、河床の掘り下げ工事が行われ、深い川になっている。
川沿いに色彩舗装がなされて歩きやすい雰囲気になっていて、春の桜がきれいである。
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②天領時代-5 江名子川に架かる橋・下流からその2
天領時代-4 江名子川に架かる橋・下流からその1
金森氏は高山城下町をつくる際、東側の防御として自然の河川の江名子川を掘とした。空町と呼称される武家屋敷の場所の東側を流れていて、北流する。金森氏は現在の左京町辺りで西方向に河川を切り替えている。その位置の方が北方向の防御ラインとして完全であった。
江戸時代、江名子川には日下部家の南側、京屋の南側、また平湯への街道、武家の菩提寺・東山寺院群、江戸への街道方面に小さな橋があった。
時代を経て小規模の橋が増えているが、歌舞伎の役柄の橋名称がつけられている。

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②天領時代-4 江名子川に架かる橋・下流からその1
天領時代-3 五ケ村用水取り入れ口
五ヶ村耕地用水路は、五ケ村用水堰堤の左岸側から取り入れられ、大野郡花里村、西之一色村、上岡本村、下岡本村、七日町村の五ヶ村の農業用水であった。明治6年には森佐兵衛らがこの用水を使って織る洋式製糸場を花里村に建て、80人が雇われている。
また五ケ村用水堰堤の右岸側から取水される神明用水の方では、明治21年、永田吉右衛門が水力による三星織工場を開業した。
宮川の五ケ村用水堰堤の左岸で取水した用水は、現在も花里町、高山市役所辺りを流れて苔川に合流する。
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②天領時代-3 五ケ村用水取り入れ口